物語の中での大人の重要性

 ちょっと難しい感じの題名を勝手につけましたが、大したことのない雑文です。だって、種死エウレカセブンの感想を書き連ねるだけですから。

 最終回ですが、適当に最終回っぽく仕上げた感じで、なんの収穫もないのではないですか? 別に物語的に終わった感じがないですし、どこに主人公たちが向かっていくのかもわかりません。まあ、キラが戦うことを決めたと言うことはわかったのですが、何と? っていう感じです。だからどうしたの? 的な感じでした。主人公はいつの間にかキラ・ヤマトだし、ラウ・ル・クルーゼが結局ラスボス的なものですし、一年やって何がこの世界にあったのかという感じがありますね。
 結局、デスティニーなんて見所はたいしてないし、∞ジャスティスに軽くやられてしまう始末。もう何がなんだかわかりません。でも、MSは嫌いじゃないから、ガンプラを買ってしまうと言う、悲しき連鎖。くだらない話でもMSが格好良ければ、手を出してしまう自分が少し悲しく、提供のバンダイにまたガンダムをやらせてしまう一因になってしまうわけです。……、もっとも、まともな話なら問題はなかったわけですよね。

 ついにチャールズ・レイとレントンの互いの立場がはっきりとしてしまう回。序盤のあまりにも甘い展開に、終わりの悲劇を感じてしまうのは、仕方のないことでしょうね。ニルヴァーシュエウレカを追う者たちと、ニルヴァーシュエウレカを大切に思うレントン。そして当たり前のように、本当のことを話すチャールズ。良いシーンですね。大人が大人らしいキャラクターになっている。そして、迫りくるKLFに対して操縦桿を握るレントン。これが何かのきっかけになることは確かですよね。
 GEKKO号の方も、エウレカの気持ちが動き出し、レントンを求めるようになっていっているし、ホランドはやっと自分の気持ちに整理がついて、うじうじした大人ではなく、最初の頃の格好いいホランドに戻った。ゆったりとうじうじしていた展開から、急激な展開を始めそうな予感がしますね。

 物語において、主人公の上に立つ大人という者の役割は、とても大きいと思う。どうであっても、それは道標となるからである。それを据えることにより主人公が成長していく物語、変化していく物語と、それがない物語、どちらが面白いかはやっぱり、自明の理ですよね。