本当に雑談

 本日の火の鳥“未来編”その一を見た。火の鳥は昔から素晴らしいと思う漫画であるし、そのメッセージは下手な文学作品を超える。かといって、全部読んだことがあるわけではないが。で、この話の核は“永久の命”である。このテーマは昔から何度も物語の核として語られている物だ。永久の命と有限の命。対になるようで対にはならない。物事はすべからく永遠ではないからだ。永遠であるからこその素晴らしさ。しかし、図らずも永遠を手に入れてしまうとはどういう事なのだろう。と、思い出したが、私の好きな無限の住人もそういう話であった。で、思うに、火の鳥の話に戻れば、この広い(人間一人にとっては)地球にただ一人なのである。ほかの生命は何一つ無い。鳥も獣もいない。
 話すことの出来ない苦痛というのは、死ぬよりも苦しいと思う。何においても一人であるのだ。“人は一人では生きていけない”という。永遠を知らない人間である私が、それを想像することは無理である。しかし、永遠とは何なのであろうか。ever、never、eternity、永遠と言う概念は地球上何処にでもある。自然を超越した存在として神を認めると言うことならば当然なのであろう。ただ“神は死んだ”なんていう言葉もある。論として言うのならば、有限である全ての存在を認め、その上で、想像上の存在として永遠を持つ神という存在がいると考えるのであろうか。ただ、日本の神はちょっと違う気もするが。黄泉の世界、黄泉がえり、なんていう言葉がある。穿ってみれば神も死んでいる。黄泉がえりの語源自体いい話ではなかったと思うし。
 何となく話がまとまらないので、ここまで。結論なんてないし、放置って言うことで。