ノスタルジック、ネガティブ、メモリー

 郷愁の念。ただ、何も考えず、時間も縛られず、ただ無駄に、ただ無為に、くだらない。何か枷を持ってしまってはできなかったことをしたい。それはもう、出来ないことであるが、きっと自分の正確がこうなのだろうなぁ、と冷静に分析してみる。
 枷を与えられて、枠の中で過ごす。……ということが、きっと上手に出来ないのだろうなぁ。成人した大人としては、相当未熟な物言いである。
 ただ、合理性という言葉も私は好きだ。紆余曲折して結局この地点にたどり着きました、よりは、目指したところはここでした、の方が好きだ。ただ、そうであれたら良いなぁという願望であるのかもしれない。無駄なことも無駄じゃないんだ、ということも心底思う。
 現実から駆けだして、別の世界に消えてしまいたいと思うこともある。生きることに執着していないわけではない。やりたいことも、見届けたいことも、やり足りないこともたくさんあるのだ。いつ死んでも良いなんて思えない。もうこれは、歳を取った証拠か?いつ死んでも良いと思えるのはきっと、若い証拠だと思う。その時の自分が全てであれるからだ。そうあれたら良いなぁと思ったりもする。
 世の中の若者ってのはきっと、もっと色々考えている。諦めることが出来るのは、やる気がないか、考えすぎたかだと思うから。ああ、やる気がないといえば、昔からのポリシーがあって、最低限自分のことは、自分のしなくてはならない範囲のことは他人の世話にはならないと言うことだ。まあ、それが自分と他人の高い高い壁でもあると思う。プライド、というか、自尊心がとてつもなく高いのだろうなぁ。絶対的な領域は他人に対して不可侵なんだろうなぁ。
 ああ、抽象的なことを言いながら、実は根元的だったかもしれない事を話しながら、あんたと酌み交わしたいと思っているのは、俺だけだろうか?