機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第17話 ローエングリンを討て!

 アバンタイトルは前回の復習。馬鹿とはさすがに言わせなかったですけれどね。しかし、最初から最後まで見ていくと、シン・アスカに共感できる部分が何一つ無いのは、もう狙いなのだろうかと、どのように育ったらああなるのかと、例えば、オノゴロで家族が全員死んでいなかったとして彼は今よりも子供っぽくなかったのか? と言われれば、それこそ怪しい。
 ザフトの士官学校って言うのは、教官に刃向かったり、同僚と上手くコミュニケーションが取れなかったりしても、最新鋭機を与えてしまうのだろうか? 一応、実力はあるのだろうけれど、ゲストに向かって「子供じゃん」とか、簡単に口げんかするとか、上司に対して逆ギレするとか、一々全てが信じられない。
 あれだけシンを上手にあしらいながら、自分には人付き合いの自身がないというアスランはなんと大人なのだろう。良くもまあ、あの馬鹿なパイロットをなんとかやる方向へと持っていったものだ。ルナマリアやレイがアスランが来るまでどれほど苦労したのかが伺える。
「予防線貼られた?」
 と思うのも、無理無いかな。そういえば今週のルナマリアさん、ガナーで出撃して敵を落としていましたね。ついに! ああ、良かった良かった。戦闘シーンに関しては、良く動くこと。そういう所にはちゃんと気合いが入っているのですね。良いことです。戦闘シーンだけなら、結構一級アニメだと思うのですよ。まあ、舞台自体の設定が微妙に都合が良すぎたり、チャチ過ぎたりするのは、ご愛敬と言うことで。しかし、あの砲台一個でそこまでやられるものだろうか? 陽動って言う考えがあれば、第一射の後になんとかなるんじゃないかなぁ、と思ったりする。まあ、ミネルバは強くなくてはなりませんからねぇ。もの凄く。
 で、街が開放された後の描写も、どうかと思う物がある。そんなに簡単に人を殺して、太平洋連邦だから皆殺しだ、とは穏やかじゃない。なんか、中東地域を想像させる。アメリカに対する、テロ集団の構図に近い。連邦を全員殺す必要があるのだろうか? 戦争は人が死ぬものだけれど。あそこまで普通に人殺しを描写されると、そんなことがあった中で「俺が解放したんだ」と笑っていられるシン・アスカは頭がおかしいのではないかとさえ思う。いやー、あれは良い笑顔だったなぁ。
 普通あんなのを見たら、アスランみたいになるのが当たり前なのではないか? 無抵抗な人間を殺すことほど、戦争法に反した行為はない。前時代的すぎる。コズミック・イラの世界って言うのは、思想体系のレベルが低下しているのだろうか? それとも戦争は人を以上にさせるものだ、とか言い訳するのだろうか。
 見ることは見るが、どうにも解せないことの多い、アニメである。前作以上に見ていて思想的な部分での鬱憤がたまる。来週は戦争の表と裏が垣間見られるようだけれど、あんまり、表と裏ってほどのこともないよなぁ。だって、薄っぺらいのだから、背景が……。