まあ、なんというかね。

 久しぶりに腰を据えて、テレビを見た。扱っている話題が身に迫るものであるから。今日、見たのは、ガイアの夜明け、待機児童、保育所のドキュメントでした。実際、仕事をする身として、結構子供を観て貰う場所というのは大切であるし、すごく選ぶし、あまり無い。

 昔のように大家族であれば、問題はないし、昔のように、一家の大黒柱は一本で済んでいれば、言うことはない。理想としてはそうなのであるが、この社会、現実はそう言う訳にはなかなかいかない。親の世代を超える、生涯収入は望むべくもない昨今、共働きという選択肢は、必要不可欠である。

 ついでに言えば、少子高齢化の社会を迎えて*1、女性の労働力を資本として扱わない訳にはいかないのだと思う。

 そんな訳で、待機児童解消の問題と長時間延長保育についての二本立てであったのだが、うなる部分と、首をかしげる部分があった。まあ、待機児童解消の為の質より量作戦は、納得できる。無ければ、増やすしかないのだから、増やそうという時期に質を求められては、どうにもならない。ただ、言えることは、資本主義であるが故に、それが商売になるのならば、やはりサービスは提供されるのである。必要ならば、対価の対象となるのだ。だけれども、人を育てるという意味に置いては、置き去りにされている面もあるのだろう。そう感じた。

 延長保育のドキュメントに関しては、正直、うらやましかった。食事も風呂も睡眠も家族も仲間も、そこで全てが成立してしまうのである。保育所に行っているから、あれは駄目だ、これは駄目だなどと言うことはない。人間の精神の根本的な部分で必要な教育は、そこですまされているのだと感じた。学習なんて言う部分は、あとから意欲があればどうにでもなるものだと思っているから、それで良いのだ。むしろ、核家族となり、学習し得ない大家族というものを感じさせるにとても良い例だと感じた。

 ……感想はこんなかんじですね。

*1:俗に国力の衰退という気がする