止まった、聴いた、買った。

おはようございます。

久しぶりに、日曜日に物事を書きます。相変わらず、日曜の朝の時間はとても貴重です。いろいろなことを考えるのに、静かでなんとなくけだるい感じもあり、いいです。さらに言えば、明日からまたハードワークが待っているというところも、ちょっとした刺激を残しておりいいのでしょうね。……他人事のように書きますが、実際、仕事をしている私と、こうして何も義務感なくキーボードを打つ私とでは、まったく別なんだと思います。やはり、仕事でメールを打つときはなるべく、しっかりとした言葉で書きますし、できるだけ、わかりやすく、言葉をそぎ落とすようにして、必要なことをまとめて書きます。仕事の内容を端的に伝えるには、できるだけ情緒とかそういう部分はいらないですし、要点だけをかいつまんで伝えていけばいいわけです。面白くもなんともない文章です。でも、それでよいと認めてくれる人がいたので、私はそのスタイルを変えないで、自分の解釈をし、できるだけ物事を単純化し、やるべきことを絞った形で伝えることを心がけています。

 

なんて、どうでもいい、枕を入れたのですが、枕が結構長くなってしまう傾向は、枕だけで独り歩きをしているような感じがして、それはそれで悪くないし、ああ、自分らしいなと思ったりもします。詩人ではないし、文筆家でもない。経過う立てて文章は打たないし、思ったことを思っただけ綴るのが、これもストレス解消の一つなのでしょうね。ストレスに囲まれて生きているわけで、そればっかりはどこかに逃げ場を作っていかなければ保てない部分でもあります。まったく別の部分の頭を使うっていうのは、いい刺激になるでしょう。

 

で、何が書きたかったのかななんて、準備したのは何だったのかなんて、忘れてしまい、まあいいかな、なんて思ったりもしてしまいますが、書き連ねましょう。自分の心の記録であって、それこそ、人に読んでもらう形式にはなっていますが、こんな与太話を読んでくれる人は別にいないわけであって、どこまで行っても、ダイアリーとしかおもっていないんだよなぁ、ここは。でも、それが良いし、自分が生きていたわけですし、ネットの片隅に何かが残っているわけで、しかし、死んでも残るわけで、大昔の趣味丸出しの部分も残ってしまうわけですけれど、そういったものが死んだ後に家族に読まれてしまうことも考えられるわけですけれど、というか、生きているうちに読まれている可能性も絶対ないわけではないのですけれど、まあ、それはそれですよね。しかし、単純な思考の言語化をしているだけで、原稿用紙にして、3枚目に突入していっているというのは、本当に無駄に書くことがいかに素晴らしいかということですね。

 

こういう、どうでもいいことでも、改行もほとんどなしで書いてしまうのも、全然私よりも若い、若い? であろう、最果タヒ氏のブログを読んだからだったりする。なんとなく思ったことを吐露していく、しっかりとした文章を読んだから、ああ、書いていくことって結構なんだもいいんだな、なんて思えたりした。というか、自分の場所だから、公序良俗に反しなければ何をどのように書いても悪いことはないわけです。くだらなくても、中身がなくても、その時に何を思っていたか、これから先何を思うか、そんなことが、私の歴史になっていくわけです。こうやって書いてきたことは、まったく無駄なことではないんですね、まあ、自分にとっては、というくくりがつくわけですけれど。

 

さて、本当に長い枕になってしまいましたが、何を書きたかったかというと、「遠藤麻理」の新刊である。あら、ニッチな需要に行きましたね。でも、いいんです。私の人生において、FMPORTを聞いていた時間は確実にあったわけで、毎朝、通勤のちょっとした時間、MORNING GATE を日々、聴いていたわけです。日曜の夜はできるだけ、NIGHT iを聴いていたわけですし、そんな時間がそれなりの時間続いていたわけです。PORTを聴くために、radikoはプレミアムだし、そんな日常が続いていくし、永遠に番組が終わるその時まで、聴き続けるものと思っていたわけです。しかも、PORTは2000年開局です。私が社会に出たその年であるわけですよ。つまり、PORTが送ってきた日々と、私の社会人生活はなんともかんとも、つながっているわけです。そりゃ、郷愁の念だけではない、熱い思いがあったりするわけです。

 

で、それが止まったんですよ。

さて、そのことに関しての鎮魂歌。それが、「遠藤麻理」責任編集の「ラジオを止めるな!」という新刊です。新潟日報事業社、ありがとう。こんな、新潟県民もしくは新潟県出身者でかつ、FMPORTのリスナーでさらには「遠藤麻理」を愛してやまない人々という、なんともニッチな需要への本を製作してくれて。こんなに、愛が詰まった本を届けてくれて、ありがとう。本当は、公開放送にも行きたかったです。まあ、まさかのその日も仕事だったんですけれど。

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まあ、録音して聴きました。さらに、昨日YouTubeでの映像も見ました。Live配信では見られなかったものの、動いている、「遠藤麻理」と「松本愛」と「さとちん」を見ることができました。ああ、幸せ。遠藤コラムもしあわせ。


四畳半スタジオ ~ラジオを止めるな! in メディアシップ~ (2021年2月11日収録)

正直、私の基本リスニングスタイルは、FMのほうがメインでした。しかし、radikoでのリスニングがメインになるにつれて、いろいろなものを聴くようになってきました。新潟にいたころは、というか、「遠藤麻理」氏がBSNでラジオをやってくれるようになっていなければ、BSNを聴く、興味を持って聴くということはほぼなかったのだと思います。そう言ったわけでは、PORTの停波⇒BSNの聴収習慣という移行がなされたわけです。新潟県民の熱い要望からでしょう、こうやって、ラジオを聴くことができる幸せが訪れるなんて、素敵なことです。

 

で、四畳半スタジオは聴いているとして、本ですよ。このニッチな需要の本。新潟県民でラジオをこよなく愛する人のための本。作った人の、インタビューを受けた人の、読んでいる人のそのすべてのラジオ愛がなければ成立しない本。ああ、一家に一冊買うべきです。嘘です。一家に一冊入りません。なぜなら、好きな人が好きな人のために好きな人が集まって作った本を、好きな人が読む、好きな人が感じる。そんな本だからです。でも、「遠藤麻理」氏の本がもっと売れてほしいなぁ、また次が出てくれるように、応援したいなぁ、とも思います。

 

ラジオを止めるな! (CD付き)

ラジオを止めるな! (CD付き)

  • 作者:遠藤麻理
  • 発売日: 2021/02/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

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でも、さすがに、日報抄と遠藤麻理氏のコラムのためだけには、新潟日報電子版購入十いうわけにはいかないなぁ。下野新聞もとっているし、下野新聞では2/16から、遅ればせながらの「星屑」が始まっているし。まだまだ序盤だけど、少しずつ物語が動き始めていて、新聞小説を日々読むのも悪くないなぁとちょっと思い始めている。日々の習慣に、村山由佳の文章が追加されていくわけです。追加された習慣に対して、3月中で終わってしまうラジオもあるわけですが⇒ミューコミプラス、

www.allnightnippon.com

これはこれで、寂しかったりするわけです。でも、この時間に帯番組を聴くという聴収習慣は変わらないわけですし、いまの、時間の流れでの習慣を変えがたいわけです。終わりがあれば、始まりもあります。どんなに悶えても、こういった決定は変わらないわけで、あとは、どうやって折り合いをつけていくか、そういったことなんでしょうね。

 

でも、悶えに悶えて、こじれにこじれた、「遠藤麻理」のラジオを止めるな! は、手元に置きづつけたい大切な本の一つであることは、間違いない。さて、日曜朝の家事始め、洗濯ものを乾しましょう! では、今日も笑顔で一日を~!