長く書くのかどうかは解らないが……。

 関東の天気と北陸の天気が人間の精神構造に与える影響について。

 まず、冬の空がこの両地域は決定的に違うことを前提にして考察する。抜けるような青空の日が多い関東に対して、どんよりと曇った“空が重い”日が続く北陸。これがどうも大きく影響していると思われる。そこに何の楽しみを見いだすかと言うことである。ただ、乾燥し朝晩の寒さに気をつけることだけをすれば、関東の冬は“やり過ごせる”。たいして寒くもなく、たいしてどの季節とも変わらず、どこに楽しみを見つけようと言うのか?

 雪のある地方に、遊びに行く。……それが至極当然の行為であろう。まあ、それも良い、雪は生活になくても良い物だし、冬は寒いだけで外に出たくない。ああ、当然だなぁ。

 でも、根っからの裏日本人である私にはとても納得できないのである。空が重いのは冬だから。晴れの喜びを知ることが出来るから、雲があるのだ。ただ寒いだけの冬ではなく、雪のある空間を楽しむことを知っている。雪は確かに生活に邪魔で、なければ簡単である。だけれども、そこにあるのが当然であって、それがない冬など考えられない。“雪の日は血が騒ぐ”のである。

 無論、楽しみだけではない。苦しい雪との戦いを乗り越えるから、雪国の人間は冬ですら楽しむ。そして、春を待ちわびる。全ての生き物が来たるべき春のためにじっと待つその期間、その中にある楽しみを持って、待っていることが出来るのだ。

 ……、踊る大捜査線を見ていたら、なんか文章がいい加減、あぁぁ。