備忘録2

 閑話休題というモノをしてみた。

 自分の精神世界を顔も知らない人が見ると言うことに、一抹の不安を覚えながらも別にたいした人間であるわけではないし、今正に軽く人生崖っぷち状態にあるような人間だからこそ、適当にでも人に見て貰いたいというのがあったりする。結構な量の言葉を書いていくだけでも時間がかかるし、本来職を持つ人間がこんな時間になんか書き物をしているものではない。……何故にしているかと言えば、ひとえに明日会社を医者に行くので休むという理由があるからである。

 最後通牒というモノを受け取った気分である。上司としては軽く首を切りたいようである。それは仕方がない。責任のある立場の人間として、自分が入れた人間の始末は自分で付けるという形であるのだろう。正直、自分は壊れてきているように思う。と言うか、やる気が枯渇している。医者にいわせりゃ病気だが、こんなモノは本来病気ではない。まあ確かに気持ちと身体は背反しているようで、そうでもないようで……。仕事したくないから、身体がおかしくなる。おかしくなるから、仕事いけない。仕事いかないと、さらに仕事に行きづらくなる。

 デフレスパイラルも真っ青なこの負のスパイラル。……どうよ。人間簡単に頭の中で考えてここまで落ちていけるもんなんだよね。どうと言うほどのことでもないけれど。自分でもこう言うのは認識していて、他人からどうこう言われて治るようなモノではないというのもよく分かっている。というか、解りすぎ。自分で自分をそこにはめ込んだのだから、抜け出すすべだって知っていなくもない。要は、心持ち次第、と言うヤツで、自信とかそういうモノに分類されるなんかだ。あとは、心を押し殺して、身体も無理矢理に引きずってでも出ていく、と言うヤツであるが、それだって、心持ち次第である。

 だから、確証がもてない。今のこの状態は、覚悟を決めるしかないことも解っている。というか、世の中みんな頑張ってると思う。うちの子供は保育園に朝から夜まで行って帰ってくる。学生は朝から晩まで机に向かって、なんとかやっている。農家の人間は一年中作物のことが頭から離れないわけだし、普通に働いている人間は、皆普通に働いている。……店に行って普通に買い物が出来るのも、こうやって今キーボードを打つことが出来るのも、何をするのも、仕事をしている人がいてからこそであることは確かなのだ。そして、今自分はそれがあまり普通に出来ないでいる。と言うか、症状が確実に強く出ていると思う。正直、以前の状況から何の進歩もしていないことは知っていた。だが、それを行って何になると言うのであろうか? 実際にここにいる現状の打開になるとは思えないし、自分の心持ち一つで家族や、周囲の人間が安心できるのならばと押し殺している感情の部分である。

 簡単に言えば、相談できる相手が今居ないということなのだろう。自分の心の弱い部分を語るに足る相手が居ないのである。そしてそこまで心の中身をさらけ出すことも怖いと思っている。そりゃあそうだろう、常に仮面を被っていれば、痛くも痒くもないけれど、どこかで破綻が出てきてしまうのは当たり前としか言いようのないことである。ただいま破綻中、と言うことでしょうねぇ。虚勢を張り続けることで守れるモノがあるのならば、出来る限りやりたいなぁとは思うけれど、簡単に自分のインナースペースに入ってくる人間というのが居たりするわけで。……やっぱり、そこなのか?

 私という人間の特徴として、一つあげられることは、プライドの高さだと思う。他人に幾度となく指摘されているし、何となくもう納得した。壁を作って、距離を置く=虚勢を張ったり、仮面を被って演技すると言うことなのだが、それは自分の内なる世界に踏み入れて貰いたくないからである。仕事は仕事であるので、内面を打ち明けることが可能でもない人間に、電話番号を知られてしまったり、家を知られてしまったりというのは好ましい状況ではない。現状においては、会社ですることが全てが仕事上の付き合いで、会社から一歩離れたならば、もっと突っ込めば、車のドアを閉じて一人の空間になったところから、一瞬たりとも会社の人間になりたくないと思っている。定時までに行って、定時になったら誰の顔も見ようが見まいが帰る。それまでに仕事が終わるように段取りをして、仕事を終わらせる。それが終わって、時間が来ればもう会社とは関わりを持ちたくないというのが、私だ。

 つまり、自分の時間を持っていたいからに他ならない。許せる人間との時間をそこで取られることに耐え難い苦痛を感じるのである。仕事以外でも、そういえばそうだなぁ。自分の時間だけはどうやってでも取っていたし、そうでないとやっぱり疲れ切ってしまうのだろう。しかし、発展的な考えにはなかなか行き着かないモノだなぁ。こうやって書いていながら何か発展的なことを見つけていこうかと思っているのだけれど、常に後ろ向き。

 心で簡単に決めていることがあって、一応月曜からはちゃんと復活するつもりである。まともかどうかは別として、きっちり時間内は働いて、他人にどう思われようが、帰る。……つもりでいる。嫌だなぁ、とか、やりたくないなぁ、とかって言う気持ちは誰にでもあるものであって、特別な感情ではない。だから、それを普通の人は抑え込んでいる。今の自分はそれを押さえ込めずに解放しきってしまっている。それがきっと、エネルギーが枯渇した状態というヤツなのだろう。でも、行くしかない。今ここで踏ん張ることが出来なければ、常に後ろに下がり続ける人間になってしまうような気がしてしまう。

 ……それも良いかななんて思ったりもする。後ろ向き? 大いに結構、そういう考えもありますよね。逃げて逃げて逃げ続けて最後には両手に何もなく橋の下で、段ボールハウス? そういうところまでの覚悟すら出来ないわけで。男だろう? なんて言う台詞をはかれても、だから何だよ! とかって逆ギレをしそうになったりもする。ただ、結局、他人にも言われることであるし、自分でも思うことであるけれど、決定的に覚悟が足りていないのだという結論は常にある。だから何なんだ? そうだからどうするのか? と言うところの結論はなかなか出てこない。

 心では、辞めちまっても良いかも、なんて言う、甘えた気持ちもある。ただ、そういう自分は嫌いな自分であることは確かだ。今まできっと状況に甘えすぎているのだ。この大きな空の下で人が精一杯生きていた頃であったならば、すぐに脱落=死、だったろうなぁ。ただ、石にかじりついてもこれだけは……、と思ってやったこともあることは確かなのだ。10年続けることが出来たのだ。他人に何と言われようとも、自分の芯に有る物は楽器だろうなぁ、とも思う。アホみたいに基礎練習を続けて、楽譜読めない音程解らないそんなところから初めて、下手くそで、やりたくなかったりしたけれど、どうにもこうにも引く勇気もなくて、やり続けたおかげで、友人に評価されて、もっとえらい他人にも評価されて、そういう伸びた鼻は簡単にへし折られるけれど、拘って自信を持って到達点の見えないけれど確かにあるべき目標に向かっていた頃があったのである。それが出来ていて、何故今それが出来ないのだ?

 簡単なことで、好きか嫌いかという問題があったりする気がする。やっぱり、外でフォークリフトを乗り回しているような仕事の方が、自分にはまだ少しは合っていたのだろうか? それほどたいした頭を使わないで、責任も全員で、楽しみながら仕事をやる。そういう仕事の方が良かったのだろうか? ……昔の仕事以外に思いつく物と言ったら、地面に穴を掘って埋める仕事ぐらいしか思いつきません。それで良いのか? それでもまあいいのか? 今の仕事にプライドはないのか? 無くはない。やっぱり、今できる仕事はたいしたことではなくとも、上司のアドバイス少なめで覚えたソフトを使っている。だから、このソフトでこの仕事を出来るのは、自分なのである。だからそこに関しては引きたくない。引きたくないのだ。この道具を他人の手に染めさせるのは何とも悔しいモノがあるのだ。どうせ与えられたツールであるのだけれど、このツールを今使いこなせるのは自分で、上司は別のツールを使っている。きっと、今を乗り越えることで何かが開けるのかなぁと思う。何となく自分が拘らなくてはいけない部分が見えた気がしている。やっぱり、バカでもアホでも何でも良いから、頭の中を整理していくと言うことにおいてこうして書いていくということは大変有用であるのだなぁと少し思う。

 まあ、決意なんかは簡単に揺らぐモノであるけれど、何となく自分で前に出れそうな気がしてきていることは確かである。寝て起きたら、何か居ているのでしょうね? なんて言うこともなきにしもあらずであるけれど、頑張る。と言うよりは、なんとか自分の拘りたい点に拘ってみようと思う。それこそ、プライドというモノだろうか? 今使っているCADがAUTOCADだったらこう思えるかどうかは不安である。それでも、隣で一緒に仕事をしている人間は、自分の使っているツールを自分の使っている程度までは使えないと確信している。それでないツールでなら、軽く自分は越えられているのですけれどね。でも、いつか、対等の立場になりたいなぁとは思う。これはもう自分のプライド以外の何物でもないのだなぁ。虚勢をそこで張る。石にかじりついてみるしかないか。