放流→枯渇

 俺、今思うと学生の時わりと歴史とか宗教観とかちゃんとしたものを覚えていたような気がする。結構それなりに話す事ができたし、論理も持っていたと思う。
 でも、いま、何もない。脳みそから必要としていない知識が流れ出したと思う。勉強してない。水を含んでいて滴るほどのスポンジが、乾燥してかさかさで知人でしまった感じ。
 ……、驚くほど知識のない比喩だ。

 物語を編む事も、日記というか私見を綴るにも、知識はそれを豊かにすると思う。出てくる言葉は氷山の一角であって、それが逆転しているような頭でっかちの文章はやっぱり面白くない。天文も歴史も科学も宗教も、言うなれば、国語数学英語社会理科、習う勉強その全てが人間の豊かさにつながっているのかなぁ、なんて思う。

 少なくとも、数学を学習する必要がないなんて言い切る人間には牙を向けちゃったりしますね。あれは、正直、人間の思考上とても必要な学問であると思います。まあ、高校生あたりで数学肉汁を飲まされてる人間には通じないでしょうけれどね。自分も特に好きではなかったし、ただの計算の公式なんて、何の役にも立たないと思っていましたから。

 でもさ、思考の過程で結構数学というのは使えるのですなぁ。証明するという行為はあまりにも役立ちすぎる。
 やっぱり、ツールはツールとして役立てなくてはいけませんよね。