なんとも空しい、日曜

正直、気が付くのが遅すぎたのかもしれないが、自分の話す事、自分の伝えようとすることは、全くどこにも届いていない。

もちろん、そんなことは、どこにも届かない事はわかっているし、分かり切ったことだ。ただ、少しは伝わっていてほしかったし、そうであると思っていた。

身内の中では。

 

良くない所ばかり目に入ってはいけない。

良いところがあり、悪いところはそれを覆い隠すはずだ。

 

でも、気分が落ち込んでしまっては、そのように前向きな考えは不可能となり、自己嫌悪へと苛まれていく。

 

全く、なんとも思えない。

頭でまとめるべきをただ文章として整理する。それを無駄にしたくないから書き留める。

ツイッター的な短い文章のつながりではなく、思考の始まりから結果までを一連の流れとして見つめる。

 

なぜに伝わらないのか。

それはきっと、自分に帰結する。それだけの伝える話し方が出来ていない。言われてしまうが、頭ごなしに文句を言ってもその時だけの事である。よくわかる。

でも、どうしても、理解できない行動に対して、頭ごなしで伝えてしまう。伝わるわけはない。

 

当然の帰結。だからこそ、自分の考えに、自分の行動に無駄を感じる。こんなことしても、何を言っても、伝わることは無く、通過してしまえば、心のどこにも残らずに、ただ笑って過ごしている。素晴らしいことだ。適応というやつだ。

 

嫌なことはすぐに忘れてしまえばいい。

共感を持たなければ、心に深く刻むようなことは無い。

ただの苦言は、戯言にも等しいわけだ。

 

だから、ただの苦言でしかないから、私の行動は無駄なのだ。

価値がない。疲れてしまった。あるべき行動は自分の行動原理に即してしまっている。

自分のルールはただの自分のルールでしかない。他人には強要できない。理解もされない。