本日、家の子達が通う保育園の30周年事業公演があった。
荒馬座による公演である。
本物の臨場感、和太鼓の響き、特に締太鼓の小気味良い音が場内の雰囲気をそれこそ、緊迫させていく。
ただ、破綻する張り詰めた緊張感でなく、抱擁してくれる、そんな雰囲気を持つ公演だった。
我が子供達が、慣れ親しむ音楽、民謡、舞踊。
その、本物を見た。
日本人だなと、これほど体験できる事は多くない。
大音響だったり、きっと、太鼓の音は騒々しいのだと思う。ただ、懐かしかったり、心地よかったりする。
家の2歳*1の小坊主は大音響の中、寝た。
もう、遺伝子とか血とかそういう部分で、やっぱり、血の通った音が、土のにおいがする音が心地よくなるのだろう。
正直、荒馬の太鼓、笛の音は鬼門である。
あの音が、涙腺を崩壊させるのである。まさか、演目の一番最初から号泣するわけにいかんでしょ?
本物の太鼓だけれど、本物の踊りを見る前に、ねぇ。
何にせよ、とても楽しく観覧できた。願わくば、やっぱり一番前で見た方が良かった。かぶりつき? 砂かぶり? そういう世界で見た方が、より、より、見応えがあったはずだ。
でも、見た方にも、見切った! よく見れた! ああ、楽しかった! と思えるステージってあまりないのだと思う。
民謡、だったり、土着したものだったりって言うのは、やっぱり、参加して楽しいものなのだと思う。
五穀豊穣、大漁祈願、海への、山への、土への、空への、日への、あらゆる、大地の起こりうる現象への、信仰、礼賛、恐れ、感謝。
人がまだ世の中とつながる、祖霊達と密接だった頃の音楽は、自分たちに還ってきて、そして響くのだ。
*1:もうすぐ3歳