日曜夜に思考をするのは、よいのか悪いのか。

なんとなく、ストレス解消をしたい。そのために文を書こうと思う。思考を整理する術であるが、それよりも何よりも、書いていくこと自体が、キーボードに向かって文章を打ち込むことが、目的だ。書いた量とか、文字数とかそういったものが積み重なっていって、生きている証明をする、それに、ああ、書いたんだなぁ、なんて達成感につながる。それでいいのだ。

 

日々、ストレスフルに生きているわけで、また、月曜日朝が来れば、それに向かって、進んでいく。会社に入って、作業着に着替えれば、どんなにえづこうが、何しようが、勝手に戦いは始まっていく。そう、自分が今いる環境は戦いだ。生きるか死ぬかではなくても、日々をどうやって過ごしていくか、何事も起こらないように、何事かをしていく。それが、戦いなのだ。

 

無駄な戦いだなぁ、なんて思う。でも、自分が生きていくために、そして、家族を養い続けるために、その無駄な戦いが、生きる糧を生んでいく。そういうシステムに飲まれながらも、自己を確立しながら生きていかなくてはならない。組織に属しながら、組織に飲み込まれたくはない。なぜか、自分で今まで会社の名前以外の力を借りて成し遂げてきたことはない。逆に言えば、会社の名前を背負って、それ以外は突き放されて戦い続けてきた。

 

会社は助けてはくれない。

会社を助けても、会社は自分自身を助けてくれるようには仕事をしてくれない。自分の身は自分で守るのだ。たとえ、会社を守るために戦っても、会社に責められることもあり、しかしながら、その際でも、会社から身を守るのは、自分の成し遂げてきたことだけであり、会社は、やはり助けてくれない。自分の身は自分で守る。それが、鉄則だ。

 

しかし、まあ、それこそ無駄な、誰の得にもならない、さらに言えば、読み返した自分にとっても徳があるのかわからないものを書いてしまった。仕方がないが、何も理想をおかずに、書くことだけを考えて書いているのだから。

 

ただ、このキーボードを打ち続けるという精神安定剤と、なんとも落ち着く感覚は、なんと表現すべきことなのだろうか。ラジオを聞きながら、くだらない思考を文章化していくことはとても楽しい。きっと、これは脳内麻薬が出ているのだろう。これが、楽しいのは絶対にそういう事なのだ。

 

ン?

つまり、どう書いても、何を書いても、自分の気持ちよさがきっと優先されている文章だから、自分の書いた文章は眠くなるし、つまらない文章なのだと思う。でも、調子に乗っていくと、自分の自分らしい表現というのが出てきたりもする。自分にしかない感情であるが、自分にしか感じない表現ではあるが、確実になんかかけてるなぁ、なんて思うときがたまにある。

 

それが、いい文章かどうかは別である。ただ、書くことの楽しみと、論説することの気持ちよさ。それだけなのだろう。それはそれでいいものだ。

 

さて、閑話休題となる。

 

夏への扉

 

 映画がそろそろだ。

古典的名作を、現代(ちょっと前)の日本に置き換えて、物語を再構築して、映画化する。主題歌はLisa。


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まあ、見るよね。いいとか悪いとか、それは見てから。夏への扉を日本映画でやろうとするそのチャレンジ、見たくなる。きっと、あんまりよくないかもしれない。あまり期待してもいない。でも、夏への扉は初めて触れたあの当時、衝撃を受けたし、続きが気になる本だった。もう一回読み直してから、映画を見直さなくてはなるまい。

 

猫小説としても有名であるし。いいじゃないか、護衛官ピート。